✨ Best Answer ✨
北陸は義仲が支配していたためです。
義仲が反対していたかどうかは知りませんが、後白河は義仲を恐れて北陸道を除いたということになっています。しかし、義仲の支配地だった信濃や上野は東山道に含まれていました。それに義仲は怒りました。
また義仲は入京後、暴挙を繰り返したらしく、後白河や公卿の反感を買っていました。なので、後白河は頼朝に義仲を討つよう命じていました。
頼朝自身も義仲の勢力が自分の支配地に及ぶことを懸念していたとは思います。
義仲は後白河を無視して頼朝に対抗しようとしたところ、後白河が義仲に兵士追討の命を出します。これにまた怒った義仲がついに後白河を幽閉。
朝廷を支配しようとした義仲が朝廷を使って頼朝を討つ命令を出しますが、周りの武士にも嫌われていたために味方がおらず、結果的に頼朝の送り出した義経に討たれることとなります。
北陸道については、義仲死後は支配下に置いたはずです。
いえいえ、参考になって良かったです。
細かく教えてくださってありがとうございます!
お礼の言葉が遅くなってすいません…!