History
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歴史。
ピューリタン革命からの流れがよく分かりません。分かりやすく説明してくれる人いませんか。

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17世紀に豊かな地主や商工業者が政治の発言力を増し、その中の多くはピューリタン(清教徒)と呼ばれるカルバン派のプロテスタントで、イギリス国教会と王の専制政治に反対しました。議会と王の対立は激しさを増して1642年内乱へ発展し、議会側がクロムウェルを指導者として国王軍を倒し、1649年王を処刑し共和国を打ち立てたことを、ピューリタン革命といいます。

しかし、クロムウェルが行った政治は厳しかったため、死後、王政が復活してしまいます。これには、ピューリタン革命時にその取り決めを紙に記しておかなかったことも理由として挙げられます。

王政復活後、王と議会の信頼関係は修復されないままだったので、王が専制政治とカトリック信仰の動きを呼び戻そうとします。1688年議会の一致で王は退位させられ、オランダから新たな国王を迎え、お互いの権利を認め合った上で、権利の章典が発布されます。
今度こそ、紙に記しておいたことで、革命は血を流すことなく成功します。これを、名誉革命といいます。

ピューリタン革命からのその後のイギリスの動きをまとめてみました。お役に立てれば(・・

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ピューリタン革命は、専制反対したクロムウェルらの共和制の革命です。ですがこれは長く続きませんでした。
無血の名誉革命により議会を尊重する国王が現れ、権利の章典という法律のようなものが定められ、立憲君主制と議会政治が成立しました。

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